人生の山歩き(その1)

人生を山歩きに例えると、私は今3つ目の山を歩いているなと思う。

1つ目の山は、両親の第1子として誕生し守られ、慈しまれ世話をされ、学校に行き、就職し、“子どもはこう生きる”というイメージでほにゃほにゃと歩いた。

2つ目の山は、結婚し、自分が親として家族と共に歩んだ道。3つ目の山は改めて「三上かおり」として一人自由に歩く山道。 さて今日は2つ目の山のことについて話そうと思う。

今こうして振り返れば、2つ目の山は起伏と喜びに富んだ山であった。でも、その山中にいるときはそれが「期間限定である」というそのことに気付いていなかった(言ってみれば当たり前のことなのだが)もちろん、子どもたちが大人になっていくことは分かってはいたはずだが、それでもずっとずっととても特別な濃い関係で、そしてその濃さのまま生きていく気がしていた。

3人の子ども達はずっと私と共に生きるように思っていたし、私から離れて生きていけるとは思っておらず、アメリカにも引き連れて行った。今振り返ると、な~にを考えていたのだ、ワタシ!と笑ってしまう。子ども達はいずれ自立し自分自身の人生を築くべく、彼ら自身の山歩きをするのに。まさに私がそうであったように。そのことをきちんと意識していなかったなと振り返って思い出しながら、あきれつつつも、そんな自分をいじらしくも思う。

でも、こう話すといかにも私が子育てだけに人生をささげたようでもあるが、決してそうではなく、フルタイムの教師の仕事にもエネルギーを使いまくり、子ども達が531歳と幼い時期に関東地方での腹話術講習会にも参加し、親業の講座も趣味⁈のごとく次々に受講し、それでも子育てに一生懸命だったように思っていた。いや子育てに、というよりは子どもとのかかわりを悩むことも含めて楽しみ、特別な3人の仲間との時間を存分に味わっていた。こうして思い出しながら書き記しているとじわじわと瞳が濡れてうるうるとしてくるほどの時間であった。

(ちなみに、今は以前ほどの濃さではないけれど、成人した子ども達はやはり特別な存在で彼らとのかかわりは私の至福の時間である。)

そんな子どもとの関係を支え導き豊かにしてくれたのが親業でありゴードンメソッドである。

ほとんど何も準備もせずに「親」になった。親になる前に何かそのために学んだの?私・・・。そうねえ、産むときのいきみ方くらいかも・・・。それすらも初の出産、長女の時はできなくてヘタクソで娘は私に馬乗りになった看護師さんに押し出されるようにして紫色でこの世に誕生した。本当にゴメンナサイです。

さて今後もこのブログで、私の子育てに大きな影響を与えた親業のことを、様々な視点や話題から書いていこうと思っている。

2022.4.26